| Theory of Photo
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以下は、私の備忘録である。

<<私の心がけ>>
 写真は技術や被写体の良さ、或いはシャッターチャンスのみで見せるものでない。何よりも撮る人の心の表現が重要である。その人の心のあり様を、被写体を通し、感性や技術に依って表現することである。故に、撮影者が心を養い「純粋さと素直さ」で感性を磨き、人生観をより深くして内容のある作品を作ることが鑑賞者に「共感を呼ぶ感動」を与えることになる。

  写真とは?
 写真は決して技術で撮るものではない。
視点を変えることが大事である。
一般の人がその写真を見たときに、「あ、なるほどね」という写真はつまらないものだ。
「え?これは何だ?」と思わせる写真を撮ることである。
そのためには常に試行錯誤し、別の入り口を探しておく必要がある。
 写真は単純化である。主役と脇役で十分。演劇のその他大勢は要らない。
作家の「何を言いたいか?」が明確に出ていて、それが写真的であることである。
 写真的とは印象である。光と影である。遠近感である。色彩の対比である。自己を強く主張したものである。
 写真に限らず絵画やムービー映像(テレビや映画)、そして感動を呼ぶ文章など
日頃から意識の中に入れておき、感動とは何かを追い求めていることが大切である。
 写真とは、プロセスである。シャッターを切る瞬間のために、あらゆる影響下で感受性を刺激したプロセスによって創られるものなのである。
  カラーとモノクロ                         内田ユキオ
「もしもあなたの撮りたいものが、はっきりとした名前を持っているなら-つまりそれがキリンだとかバラだとか香港だとか恋人だとか、はっきりとした名前があるものだったら、たぶんカラーで撮るのがいい。目に見えたのとよく似たものが写真に再現されるはずだ。けれども、もしあなたの撮りたいものが、名前を決めかねているようなもの-それはたとえば哀しみだとか懐かしさだとか驚きだとか温もりだとか恋に変わりそうなときめきだとかだったら、モノクロで撮るのがいい。色によって見えにくくなっていたものや、感じてはいたのに見えていなかったものが、きっと写真に残るはずだ。」

・・・内田ユキオ(写真家):「ライカとモノクロの日々」 枻(えい)文庫
  カラーとモノクロを混ぜるときには              荒木経惟
言葉っぽいとか、文学っぽいように感じさせるときにはやっぱりモノクロだな。例えばカラーだと表で、モノクロだと裏、その表と裏と両方混ぜて見せるって感じ。陽気と陰気とかさ。それと、見る人にちょっと時間を持たせたいっていうときにモノクロにするんだよ。モノクロにはそういう時間かけて見させる効果があるじゃない。モノクロームはやっぱり写真の元祖だからね。神秘感みたいなのが写真のコトなんだから。カラーはそういうミステリアスなところがなくて、テレビの感じなんだよ。モノクロ写真が一番インテリジェントなところで、そこに塗り絵をしたのがテレビ。テレビてモノクロやってもつまらない。

・・・荒木経惟(写真家):「荒木経惟の写真術」 河出書房新社
  写真とは?                            大西みつぐ
写真はもともと光の行動を見極めていくような仕事だ。「たった今」を撮り続けて欲しい。写真は常に現在を問うという仕事であり、その先にこそ道は必ず開かれてくるものであるからだ。歩き続けることが肝心だ。 私たちの具体的に経験する時間や空間は絶えず動いている。私たちが生きようとする日々の風景は、たとえば町の片隅にひっそり咲く花や、駅前の乱雑な看板や田園の畦道でくつろぐ夫婦の姿や、そのほか沢山の、とるにとらない、また平凡な日常が沢山集積し成り立っている。カメラという道具がそうした領域に自然に入っていけたなら、私たちは喜びや感傷さえも、もっと鮮明に未来に残していけるのではないだろうか。 町から写真撮影の技術も学び、歴史も、暮らしも、経済も学ぶ。そんな豊かな時間を過ごすのもいい。 私たちの日常、さまざまなモノや人や風景などに取り囲まれている環境を、現在を、カメラを使い自由な尺度からいかに意識的にすくいとれるかという作業。 一連の「行為」の中から「確かにそこに在る」ということがなにに由縁しているのかを日常を疾走しながら探そうとしている。

   ・・・大西みつぐ(写真家)
  上手い写真と良い写真                    石井正彦
 写真の上手い下手は、表面だけを見ていても分かりません。大切なのは写真の中身、写そうとしたものを確実に捉えているかどうかです。露出もピントも正確、構図もいい、プリントもきれいで申し分ない、確かに上手い写真だが、少しも心に響かない、そんな写真が氾濫しています。その一方で、本人には自信がなくても、良い写真が撮れているということはいくらでもあります。 上手い写真と良い写真、いったいどこが違うのでしょう。それは、写真の持っている言葉の数だと思います。見る人にどのくらい語りかけることができるか、伝えることができるかの違いだと思うのです。 自分では良い写真が撮れたと思うんだけど自信がない、説明する適当な言葉が見つからない。それでいいのです。写真は人に見せると勝手に喋り出します。見る人も勝手に解釈します。お褒めの言葉をいただくこともあれば、聞きたくない感想を耳にすることもあるでしょう。遠慮のない批評には腹が立つでしょうが、怒りは我慢する。あらゆる芸術作品は、生まれ落ちた瞬間から一人歩きをするといわれますが、写真も同じです。 良い写真とは、そこに写っている世界に入ってみたくなるような、あるいは、知らないうちに、われを忘れて写真と話し込んでいるような、画面の中からいくつもの言葉が聞こえてくるような写真のことをいうのではないでしょうか。 筆者は写真展や新聞、雑誌の中で「いいな」と思う写真に出会ったときは、自分は今写真を見ているのではない、写真が捉えたその場に立ち会っているのだ、と思うようにしています。人が撮ってきたモノとして、一歩引いたところで鑑賞するのではなく、自分も同じ現場でこのシーンを見ているのだと考えるのです。そうして、画面の中の人の声や周囲の音、匂い、モノの感触まで想像するのです。

・・・石井正彦(写真家)著:「気づきの写真術」文春新書
  スナップ                            内田ユキオ
 他のジャンルも多少なりともそういった傾向はあるのだろうけれど、スナップは撮り手の生活や考え方が、そのまま写真に反映してしまうところが、楽しさであり、難しさでもあるように感じます。 スナップを撮り慣れていない人に話を聞くと、どんなふうに線を引くかよりも、どこに線を引くか、つまり何を撮ったらいいのかがわからないのが難しいと言います。国語のテストみたいに「主人公の気持ちを表しているところに線を引きなさい」なんて考えると難しいですよね。そうすると自分にしかない魅力を損なってしまうから、いちばん印象に残ったところに線を引くことから始めるのが楽なのではないかと思います。 主旨だとか、要点だとかいうと大変だけれど、印象なら何かしら感じることがあるはずで、ましてやそれは自分の物語なのだから。

・・・内田ユキオ(写真家)著:「ライカとモノクロの日々」枻文庫
  組写真                              中村由信
 歴然とした色分けは難しいが組写真には、連続写真(フォト・シークエンス)・連作(フォト・シリーズ)・写真物語(フォト・ストーリー)・写真随想(フォト・エッセイ)の形式がある。 写真物語(フォト・ストーリー)には時間を追う場合と、それに関係なく被写体のドラマチックな場面のみをピックアップする時がある。 また混合した様な撮り方もある。物語性は常にドラマチックな感じではなく、淡い人間味・不安な感じ・前途洋々・ユーモラス・重圧感・寂しげな味わい等々、いろいろな場面で表現できる。組写真の大半は何らかの意味でのフォトルポルタージュの要素を持っており、軽い報道写真の撮り方とも言える。

・・・中村由信著:現代カメラ新書「私の組写真作法」朝日ソノラマ             
  写真は現実とは別のもの                  児島昭雄
人間がカメラという道具を使って撮るのだから、当然撮る人の姿勢が反映される。いくら絶対非演出といって客観的になろうとしても、被写体の選択から始まって、どの部分をどう切り取るか、いつシャッターを切るか、光線の条件からプリントのトーンに至るまで、撮影者の意思が関与するのだから、結局はカメラマンの主観や感性のフィルターを通して、現実とは別のものに置き換えられたのが写真である。

・・・児島昭雄:「Photography」Vol.01 OLYMPUS                   
  大切なのは撮る動機                     児島昭雄
その対象に興味をもち「おもしろいな」と感じるのは、その人の感性に触れる何かがあるからで、その人の潜在意識がシャッターを切る動機になっていることは間違いないのです。その人がどのような人生経験をしていて、日頃どのような性格で、どのような考え方をし、何が好きで、何が嫌いかといったものが下地になっていて、それがある対象に出合った時に無意識の内に反応します。つまりそれが立派な動機になっているのです。

・・・児島昭雄:「Photography」Vol.02 OLYMPUS
  写真を撮る動機には2つのタイプ             児島昭雄
外界の対象に触発されて撮る受身の動機とは別に、自分の内面につくりげられているイマジネーションを被写体を借りて視覚化しようとしたり、あらかじめ自分の中で温めていた思考や主張といった特定のメッセージを写真的手法によって表現しようとする能動的な動機とがある。後者では、作者の動機イコール作品のコンセプトとなるわけである。だから、前者の場合より一層、作品の中でその動機が重要な意味を持っている。そして、その動機も、感覚的なものより、論理的もしくは哲学的な筋道を持つ場合が多い。そして、その文脈をより効果的に伝達するためには、単写真ではなく一連の写真(シリーズやシーケンス)として発表される場合が多い。

・・・児島昭雄:「Photography」Vol.02 OLYMPUS     
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